ばっぱのDNA
我が家では、夫の髪は私が切ってるんですよ。
一応言っておくと、私は美容師の資格を持っているわけではなく、美容院で下積みを積んだ経験もありません。
私にあるのは、美容師だった祖母のDNAと、失敗を恐れぬ強きメンタルだけです。
2週間おきにカットし続け、かれこれ7年くらいになるでしょうか。
今では、美容室風の会話を交わしながら、スマートに仕上げることもできるようになりました。
今日もカットの日だったのですが、
私「いらっしゃいませ~。今日はどうされます?」
夫「ちょっと明日、釣りに行く予定なので、釣れそうな感じの髪型お願いします。」
私「かしこまりました。釣りのイメージなら、角い感じのシルエットでよろしいでしょうか?」
夫「そうですね、サイドは直角でお願いします。」
私「トップはどうします?」
夫「トップは平らにしてください」
私「じゃあ、前から見ると四角、上から見ると円っていうイメージでよろしいですか?」
夫「はい、それでお願いします。」
釣れそう。(笑)
いや、実際にはちゃんといい感じの短髪に仕上げましたけどね。
毎回楽しく切ってるんです。自分で言うのもなんですが、やっぱりセンスがあるんですよね。祖母のDNAしっかり受け継いでる証拠です。
そんな祖母ですが、実は8月に亡くなったんですよね。
ずっとブログを書けていなかったのは、祖母のことを書く前にふざけた内容のブログ書きたくないって思ってたのと、祖母のこと書くための気持ちの整理がまだまだできてなかったので、なんやかんやでずいぶん期間があいてしまっていました。
私、絵にかいたようなおばあちゃんっ子だったんですよね。
文章では書ききれないほど多くの愛情を注いでもらい、私もばっぱを喜ばせるために色んなことを頑張りました。
美容師だったばっぱに、小さい頃はよく髪を切ってもらい、お客さんがいないときは、よく店で遊びました。
今でも、夜寝る前になると、ばっぱの最期の瞬間をよく思い出しては、悲しい気持ちになって、眠れなくなってしまいます。
だけど、去年じっちが亡くなってからみるみる元気がなくなって、痩せ細っていくばっぱを見てたから、心のどこかでお別れの準備をしていた自分もいて、絶対に嫌だけど、もしばっぱがいなくなってしまっても、少しでも悲しみが減るように、ばっぱの欠片をたくさん集めていました。
たとえば、ばっぱからもらった手紙とか、ばっぱが趣味で作った小物とか、あと写真も意識的に撮るように心がけました。
ばっぱと二人でご飯食べに行ったレストランや、一緒にばっぱのバッグ選んだ店や、運転免許を持っていないばっぱが唯一自分一人で行けたコンビニなど、私の身の回りにばっぱの欠片がちりばめられて、どこに行ってもばっぱとの思い出を思い出すことができます。
でも一番、ばっぱが私の中にいると実感できるのが、やっぱり夫の髪を切るときです。
ばっぱが私にしてくれたように、私が夫にケープを被せて、くしで丁寧に髪をとかして、髪以外は絶対に切っちゃダメなハサミで丁寧にカットして。
小さかった弟の襟足をカミソリで剃るときには、くすぐったくて弟が笑ってしまうので、カミソリで肌を傷つけない対策として、ばっぱは自作の怖い話をしながら剃っていました。
でもその話が面白くて、結局弟も私も笑ってしまうのですが。
そんな楽しいヘアカットの思い出が、今でも私の宝物です。
そして今は、夫の襟足をきれいに剃ることが、私の幸せなのです。
ばっぱの家も片づけが終わって、今月末には百箇日を迎えます。
9月には、弟の家と従弟の家に赤ちゃんが生まれ、「じっちとばっぱに会ったことがない親族」が初めて誕生したわけですが、じっちとばっぱの教えや楽しかった思い出は、必ずみんなで語り継いでいくと思います。
やっとブログに書くことができたので、気持ちが少しすっきりしました。
明日は休みだし、昨日は仕事で大きなイベントも終わったので、解放感もあります。
明日の釣りを楽しみに、今夜はゆっくり眠ります。夫のきれいな襟足を見ながら。